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映画『世界一美しい本を作る男ーシュタイデルとの旅』

ええと、もうSQ54メルマガを書き終わったので完結でいいのだけども、メルマガの文字数制限は540文字なのであんなに舌足らずになるのである。
忘れないうちにここに存分に書き散らしてみよう。
パンフ500円。四六版に近いサイズでペラッペラ。生成りに黒の端正な文字で美的。好み。買う。
パンフ内でコメントを寄せているのは出版系の人と写真系の人と映画監督だが、もっとぜんぜん畑の違う人のシャープなコメントなら面白いのに。
原題はHow to Make a Book with Steidlなのかな。『世界一美しい本を作る男ーシュタイデルとの旅』なる邦題…。ううむ。ノーコメント(常に邦題に文句のあるひと。笑)。でも今回はそう悪くはない。キャッチーなところ狙わねばならない事情はよくわかる。
シュタイデルでさえ「ベストセラー作家なんかの売れる本を作っておいて、その利益を使って、売れなくてもイイ本を作るんだ」って言っていた。どこかの某ヴィトンも確か同じようなことを…。大量ベストセラーアイテムを高額で買ってくれる一般的な日本人がたくさんいるから、本当のセレブ相手のクリエーションオーダーシステムを揺るぎなくやっていける、とか何とか聞いたことがある。
この映画はドキュメンタリー映画である。ドイツの小さな出版社、シュタイデル社のゲルハルト・シュタイデルの仕事を追った、いわば『情熱大陸』だか『プロフェッショナルの流儀』だかああいった番組系統の。本社スタッフわずか35人の小さな会社に、錚々たる一流人の支持が集まる。
アナログな本作りがうんぬん〜という前評判だったので、自分が製本をならっていたことなぞ、あるいは製本学校に通い始めた頃の情熱を思い出して手作業って素晴らしい!ってなるかなと思ったが、とんでもなかった。そんな乙女チックなロマンだの夢みたいなことではなかったのだ。極めてデジタルかつパンクチュアル。ああ、ドイツ人。でもこれが現実なのよね。(出典:「悲しいけどコレ戦争なのよね。」ガンダム、スレッガー中尉。私がついていけるのはガンダムまでだった。エヴァ以降のそっち系につまづく。進撃の巨人をとにかく受け容れられない…。それについてはまたそのうち語る。)
なんだっけ。そう。ヨゼフ・ボイスをこよなくリスペクトするらしいゲルハルト。出版社というより研究所、だと本人が言うとおり、なんだかラボなのである。もっとイタリア系の工房的職人の雑然とした仕事場みたいなものを期待したのに、病院みたいだ。真っ白でカルテ用みたいな棚に書類が詰まっていてデジタル機器があって…。そして社内ではゲルハルトも白衣なのである。仕事っぷりはまさにドイツ的。合理的かつ頑固かつ冷酷かつ沈着。清潔剛健一辺倒かと思えば、これが妙に人間臭い。展示物の本の汚れを指に唾つけてこするし、社内に飼い犬と思しき犬がうずくまっている。お世辞にも綺麗な犬とは言えない黒い雑種系の老犬。一瞬しか写らないけど、しどけなくてだらしなくて、そこがいい。かわいい。何度でも言う、かわいくない犬を見た事がない!
なんだっけか…。そう、卓越した外科医みたいな仕事っぷりに、あの16世紀の解剖医師ヴェサリウスのモットー「迅速に、愉快に、確実に!」を思い出したが、彼は研究所内でオペレートにあけくれているのではない。世界中どこへでも飛ぶ。いい本を作るためにならイギリス、フランス、アメリカにカナダ、そしてカタールの砂漠へも。
「旅は好きじゃないが直接会って打ち合せするのがいちばんいい。2、3ヶ月かかる仕事が4日で終わる」と。そのスピードでダイナミックに仕事をこなしても、アポは1日に10件、数年先まで作業予定は埋め尽くされているという。
本のもつ質感、重さ、ページをめくる感触と音、紙のフィーリングにとことんこだわり、本の匂いフェチらしい彼の、精密機械的かつフリーハンドな本作り。強引かつコンセンサスを諦めない手腕。自社のなかで、企画、デザイン、編集、印刷、製本に至るまですべての工程を一貫して行うシュタイデル社の本づくりは明らかに功利主義に対する逆行である。だがゲルハルトのそれは究極の功利主義と一致して見えて来て、私は映画館の客席で幸せな混乱に陥りはじめる。
彼のレクチャーによると、本の匂いというのはニスの匂いだそうだ。合成ニスを用いると紙の匂いが損なわれるからシュタイデル社では油性ニスを使うのだと言う。そのドヤ顔に、専門家とオタクの紙一重を見る(笑)。
オフセットにするか活版にするか、そのメリットデメリットをきちんとクライアントに説明し、絶対に相互の合意点を測る。クライアントは神様です的な言いなりには絶対ならないし、また自分の理想を押し付けることもない。そして必ず自分の眼で見て手で触れて自分でクライアントと対話しなければ納得しない。本自体の値打ちはもちろん、書店に並んだときの光景まで想定して、ベストの製本を提案する。クライアントが彼をないがしろにしてスタッフと直接やりとりしようものなら…猛烈に拗ねるし抗議する(笑)。
この人はいったいナニモノなのか。
この映画のなかで並行して進められているプロジェクトのひとつが写真家ジョエル・スタンフェルドの写真集。この写真家がまた優柔不断であれやこれや注文を出しては煮え切らないのだが、ゲルハルトは見限りもせず無視もせず鵜呑みにもせず、「迅速に愉快に確実に」工程を前に推していく。キレのいい粘り強さ? ジョエル・スタンフェルドの手がけたこのドバイの写真シリーズは『iDubai』というタイトルでシュタイデル社から出版済みだが、タイトルの通りiPhoneで撮影したものだ。悪趣味の極みを追求した結果の表紙(!)が世界で最高級に洗練された写真集として完成するシーンの鮮やかさが今も脳裏に焼き付く。iPhoneという現代最先端デジタル機器を紙の写真集という極めてアナログなものにおとしこんでいくという作業は何を意味するのか。私のなかで何かが大きく揺らぎ始める。アナログとデジタルの交換可能性? オリジナルと複製の有機的な関係性?
万に近い書籍に埋もれ地下室で暮らしている私にとって、電子書籍の登場はまったく歓迎できないものだ。もともとデジタル機器と相性が悪く、今もこのiMacの不調に悩みながらこれを打っている私にはもはやそれらは敵でさえある。シュタイデルの映画だってその感覚を後押ししてくれるものに違いない、と思いきや、期待の遥か斜め上を彼は駆け抜けた。
どこまでもアナログで高品質な紙媒体の本を作る小さな出版社。生身でコミュニケートし、自身の五感ですべてをとりしきるゲルハルト。しかし、彼は軽やかにデジタル機器を使い、その旅には常に5台のカラフルなiPodがお供になっている。
私は大きな勘違いをしてきたのかもしれない。
デジタル化するこの世界で、紙媒体の本であることに価値がある。とゲルハルトは言う。
デジタルはアナログの敵ではないのかもしれない。
それはむしろ、アナログのものを美しくするものであり、逆もまた然りなのかもしれない。それらは没交渉なのではなく、通底してより美しい世界へと繋がる可能性を秘めているのではないか。
私は、もしかしたら、近いうちに、あれほど抗ってきたiPhoneなるツールを手に入れようとする、かもしれない。そして私なりの『iWien』をそれで撮ってみたりも、するのかも、しれない。
それを敗北だとか時代に流されたとか、もう思わずに。
ところで、最近私はリモワのサルサエアーの購入をさんざ検討した挙げ句に、なんとなく目移りしたサムソナイトのイノヴァスピナーを購入したのだが、そのリモワをゲルハルトは仕事で愛用していた。
ときに78万ドルの価値のある紙束をぎっしり詰め込まれる彼のスーツケース。紙類を詰め込みすぎてわずかに蓋が閉まらないスーツケースを前に彼が取った方法に眼を見張った。内装の仕切りのクロスベルトを全てカッターナイフでちょん切ったのである。そこに一切の躊躇もなかった。このベルトさえなければファスナーが閉まる、明確である。リモワの正しい使い方を見た気分だが、私は彼のリモワのスーツケースにだけはなりたくない(笑)。
でもそれは爽快な体験だった。この映画は確かに、私のなかで新しいものを取り込む余地を奪っていたベルトを切ってくれた気がする。
ただ「丁寧に本を作りたい」だけなのだそうだ。そのシンプルさが、ここまで複雑性に対しての強靭さを生める。素敵だ。
で、17日東京で本の話するんですけど…! これどなたか来てくださいませ、心よりお待ちしております。

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