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指サックさん

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指サックさんとお友達になる時期が来た。
出席票の仕分けである。とりあえず急を要するのが六千枚ほど。全回ぶんの講義の出席票を学生ひとりひとりずつでまとめ、ホチキス留めをする作業が採点前に必要になる。今年もホチキスの芯が一箱消えた(誰か余ってる方、ください。普通減らないと思うんですよ、ホチキスの芯なんて)。
別に試験だけすればいいのだし、膨大な手間をかけて作業する義務はどこにもないのだが、他者を評価して数値化する場合はそれなりの根拠が要るだろう。他の先生方と私の評価基準は大きく異なるとしても、私には私なりのボーダーがある。
白紙提出や明らかに話をまったく聞いていない(就寝中か内職か私語かに勤しんでいたと思われる)学生やとにかく腹立たしい事を書き逃げしている場合と、その日何らかの理由があって欠席したと思われる場合、どっちが評価高いかというと、案外後者である。ただ、それでも限度とバランスがあって、毎回本当にいいコメントを書いてくれても、出席回数が半数以下というのはそれはそれでだめだろう。
「腹立たしい事」というのは、「あつい!」など会場の温度への文句を3文字程度で殴り書きしたものや、まったくライブに関係ないことを脈絡もなく吐き捨てるもの(「〜くんだいすき!」とか「バイトクビになった〜」とかw  知るか。)などなどであって、講義に対する抗議や批判や意見や反論や異論などに対しては、きちんと拝読して対処しているつもりである。たとえそれがどんなに稚拙な表現で来られたとしても。
昔少しだけ筆跡鑑定を学んだ。
それでも判定は難しいのである。ひどい暴言だったり殴り書きと見える場合も一応考える。本当に字が汚いのかもしれないし、どうしてもまっすぐ書けない何かの疾患かもしれないし、漢字を書くとアレルギーが出る体質なのかもしれないし、本名を正しく書くと災いが降り掛かるというような事情を抱えているのかもしれない。明らかに出席票の上に突っ伏したと思われるファンデーション痕が見られたりもするが、色々可能性を考える。
ううむ。
レポートでも、出席票でも、試験答案でも、論文でもそうなのだが、要は、きちんと鏡像段階を経て自我が確立していて(つまり、他者と自己をきちんと認識した上で他者を尊重できるという、人間として当たり前のこと)、「自分が書いたコレを他者が読む」という想像力さえあれば、無体なことにはならないと思うのだ。
自ずから誤字脱字には気を配るだろうし、拙くとも伝わるような表現に収束していくだろう。
「私はこのレベルの文章を他者に対して提出するような人間です」と物語る、自己表現の場ですよ、その紙。
それ、ほんとうに、他者に渡してしまって、いいですか。
とはいえ、多くの学生のコメントシートに救われる事も事実だし、愛おしいと思う事、心のなかでエールを送る事、深く頭が下がる事、勉強になる事のほうが、腹立たしい事や悲しい事よりも天文学的に多くて。
♪何度何回繰り返しても戻って来ちゃう愛…(T.M.Revolutionさんのおうた)なのである。

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